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與那嶺佐和子さん

活き活きと輝くアクティブな女性をご紹介するこの企画、第13回目になります。
今回は、沖縄県内で新感覚の広告を打ち続けるOffice LIGHTWORKSの「うたうHappy Communicater」與那嶺佐和子さんにお話を伺いました。

與那嶺佐和子さん

さあ、突然「うたうHappy Communicater」という聞き慣れないフレーズが飛び込んで参りましたが、この記事を最後まで読んで頂けると繋がりますのでご安心下さい。旺盛で興味深い経歴を持つ與那嶺さん。今回は時系列で與那嶺さんの半生を紹介するスタイルとすることに致します。

【10代の頃にオーディションを通過。シンガーとしてメジャーデビューへ】

幼いころから歌うことが好きで歌手に憧れていたという與那嶺さん。
松田聖子や中森明菜といった時代を彩るアイドルから、小学生ながら沖縄ハードロック界の重鎮『紫』に心を掴まれてしまったのだと言うのですから
早熟です。
「中学・高校と進んでもその思いは膨らみ続けて、18歳の時にフォーライフレコード主催のオーディションにデモテープを提出したんです。それがスタッフの方の耳に留まり、それから19歳で上京、20歳でデビューと、夢であったシンガーへの道に徐々に近づいていくこととなりました。」

sinonの名でシンガーとしてアルバムを3枚、シングルを10枚以上リリース。テレビ番組のエンディングテーマやCMソングに起用され世間にもその歌声が浸透していきます。しかし、順調に階段を駆け上がっているように見えた一方、自身の中には思う部分がありました。

「自分の中で『歌』というのを突き詰めて考えた時に、そこまで追求できなくなってしまっていることに気付いたんです。トレーニングでどんどん歌唱力は上がっていくんだけど、喜びを感じているかというとそうでもない。そもそも夢の設定が『歌手になること』だったのでデビューをしたその瞬間で達成感を感じてしまったのかもしれません。」

そんな中、シンガーとしてさらなる展開のために、ソロ活動からユニット結成という動きに。その折、のちの旦那さんとなる人との出会いもあり結婚。憧れであった歌手活動に充実感を感じているうちに一度区切りを付け、彼の地元であるフランス・パリでの生活を始めます。

【シンガーからパリジェンヌ!組織の一員として・・・】

芸能界に身を置いていた反動から「OLさんみたいな地に足を付けた暮らしをしてみたかった」と話す與那嶺さん。フランスで主婦として出産・子育てを経て、日本人向けのフリーペーパーの取材・編集に携わります。

「これまでは職業柄インタビューされることが多かったのですが、今度は話を引き出す立場。意外とこれにやりがいを感じ、これは向いてるのではないかと。その他にも県紙である琉球新報の海外通信員だったり、ミシュラン制作の日本人向け番組のナレーションなど様々な仕事をさせてもらいました。どれもやりがいが大きく、企業の一員として働けたことが自分の中では自信になりました。」

海外で日本人として働いていく中、次第に日本や沖縄のために働きたいという気持ちも膨らんできたと話す與那嶺さん。人生の転機もあり、子育てや仕事に打ち込める環境を考えた結果、ベターな場所として地元沖縄を選びます。

【沖縄で今度は外務省の職員に!】

「沖縄に外務省の業務をする機関があって、そこがタイミング良く期間業務職員の募集をかけていたんです。それで『呼ばれてる!』と思って応募しました。外国での経験も評価してもらって、そこに勤めることになりました。自分が思っていた日本や沖縄のために働けてそれなりのやりがいも感じていました。でもやっぱり組織が大きすぎまして(笑)微力さを痛感してしまったんです。私個人の動きでも喜んでもらいたいなと思いまして、契約期間満了した後に、民間企業に転職しました」

【仕事を通した出会いで、再発見した自分】

「次の会社では『沖縄社長インタビュー』というwebコンテンツの制作のお仕事をしました。この現場で現在勤めている株式会社富士葬祭の社長・部長を始めとした色んな方との出会いがあり刺激をもらいました。この時期の出会いが私の中で大きかったです。
中でも印象的だったのが、ラジオ番組のアシスタントもしていたのですが、その番組のメインパーソナリティである陸上の譜久里武選手との出会い。譜久里選手は日本のスプリンターなら名前を知らない人はいない著名な選手です。
しかし年齢的なものもあって30代で挫折を経験したと言うんです。それを乗り越え、周りからはピークを過ぎたと言われている中、それでも走る喜びは忘れなかったと言いました。そして今はマスターズの日本代表として世界を相手に戦っている。そんな彼がかつて歌手活動をしていた私に『一人でも喜んでくれる人がいるならまた歌った方が良い』という言葉をくれたんです。」

これまで、色んなことに旺盛になって取り組んできた與那嶺さん。やりたいと思ったことはやってみる。自身も歌への喜びは決して忘れないままここまで来ました。

與那嶺佐和子さん


「幸い今の会社ではやりたいことができる部署に所属させてもらっています。一人の広告マンとして、歌やこれまでの経験を活かして何かを達成できればとの思いから、CMのサウンドロゴの歌入れやナレーション、出演などもしています。この活動の思いが、『うたうHappy Communicater』という肩書きなんです。これからは、自分の強みとやりがいを掛け合わせて、これまで関わってくれたみなさんに恩返しをしたい気持ちです」

いかがでしたでしょうか。もう一度冒頭に戻れば、時系列によって点と点が線でつながる感覚になって頂けると思います。今の自分というのは過去の自分の積み重ね。確かに言えることは、たくさんの出会いと経験を通じてできた「今の與那嶺さん」が、人生で一番輝いているのは間違いないです。


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